2008年 11月 09日
僕らの地球を守らないと。 |
良く晴れて、空気が澄んでいる真夜中に星を見に行く事があります。
「星を見る」という事に関しての原体験というか、元になっている経験は、小学校低学年の頃、今は亡き祖母が住んでいた田舎に宿泊した時だと思います。
いわゆる、物心が付いた時なのかもしれません。
田舎の家なので、トイレは家の外にあり、そう広くは無い庭に出てトイレに向かわなくてはなりません。その田舎は、いまでは高速道路が山を切り開きこうこうとハイウェイの明かりを空に放っていますが、当時はその高速道路も建設中(まさに、山を切り開かんとす)で、夜になると町の灯りは少なく、あの頃名古屋に住んでいた私には信じられないくらいの満天の星空を目にすることができたのです。
今の実家も、田舎と言えば田舎で、田んぼしかなく、信号は町内に2個しかないのですが、名古屋のベッドタウンなので夜になっても周りの街の灯りでそれほど星が降るような事はありません。
そして、函館。
星がしっかりと見えるスポットが、私的には2つ3つありまして。空気が澄んでいて、なおかつむちゃくちゃ快晴の真夜中2時とかに思い立って出かけます。
おおよそ車で5分から20分走るだけなのに、かつて田舎で見たほどの星を見る事ができます。今は視力が悪いのでせいぜい子供の頃の8割くらいしか見えていないと思うんだけど、それでもまぁまぁ、市内にしては息を呑むほどの星が見えます。
車を停めて、ボンネットに背中を乗せて空を眺めていると時折細かく星が流れます。
そうして、地球が宇宙の、広い銀河の一部であり、生き物がちっぽけなものに感じます。これほど素晴らしい星に住まわせてもらってること、大きな宇宙に畏怖を感じます。
地球を大切にしなくてはならない。
心に強く気持ちが芽生えます。
星の光が見えないほどの都会に生きていたら、そりゃ、テレビでいくら地球を大切に!って言われたところで実感がわかないだろうなーと思います。星を見ても何も感じないヒトだっていると思います。
まあでも、たまには星を眺めに出かけてみるのは、オススメです。
「星を見る」という事に関しての原体験というか、元になっている経験は、小学校低学年の頃、今は亡き祖母が住んでいた田舎に宿泊した時だと思います。
いわゆる、物心が付いた時なのかもしれません。
田舎の家なので、トイレは家の外にあり、そう広くは無い庭に出てトイレに向かわなくてはなりません。その田舎は、いまでは高速道路が山を切り開きこうこうとハイウェイの明かりを空に放っていますが、当時はその高速道路も建設中(まさに、山を切り開かんとす)で、夜になると町の灯りは少なく、あの頃名古屋に住んでいた私には信じられないくらいの満天の星空を目にすることができたのです。
今の実家も、田舎と言えば田舎で、田んぼしかなく、信号は町内に2個しかないのですが、名古屋のベッドタウンなので夜になっても周りの街の灯りでそれほど星が降るような事はありません。
そして、函館。
星がしっかりと見えるスポットが、私的には2つ3つありまして。空気が澄んでいて、なおかつむちゃくちゃ快晴の真夜中2時とかに思い立って出かけます。
おおよそ車で5分から20分走るだけなのに、かつて田舎で見たほどの星を見る事ができます。今は視力が悪いのでせいぜい子供の頃の8割くらいしか見えていないと思うんだけど、それでもまぁまぁ、市内にしては息を呑むほどの星が見えます。
車を停めて、ボンネットに背中を乗せて空を眺めていると時折細かく星が流れます。
そうして、地球が宇宙の、広い銀河の一部であり、生き物がちっぽけなものに感じます。これほど素晴らしい星に住まわせてもらってること、大きな宇宙に畏怖を感じます。
地球を大切にしなくてはならない。
心に強く気持ちが芽生えます。
星の光が見えないほどの都会に生きていたら、そりゃ、テレビでいくら地球を大切に!って言われたところで実感がわかないだろうなーと思います。星を見ても何も感じないヒトだっていると思います。
まあでも、たまには星を眺めに出かけてみるのは、オススメです。
by relax_food
| 2008-11-09 16:38
| つれづれ